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ピンチの後にチャンスあり!しかし人生ピンチの連続。まぁなるようになるかね。

「過去記事一部引用放火」と「想像と伝聞で批評する野次馬」

2021年オリンピック開会式の関係者として公表されてから、小山田圭吾さんへの
バッシングについて感じたことを記することにしました。心がチキンなので、この
記事についてもバッシングがあるかもしれませんが、感じた事を残しておきたいと
思います。

  

【2021年時点のファクト】

2021年小山田さんの過去の記事が話題になった件にについて、2021年時点ファクトを列挙します。

①1970年~80年代。10代で壮絶ないじめの現場に小山田さんはいた。
②1994年~95年。20代で①の事象を小山田さんは2誌の雑誌インタビューで語った。
③2021/7/14 50代でオリンピック開会式に関わることが公表されて、②の引用記事がSNS中心に拡散された。
④2021年③が新聞やネットニュースでさらに拡散された。
⑤2021/7/16小山田さんから①および②に関する反省文がネットで公開される。
⑥2021/7/19⑤が収まらずオリンピック開会式の音楽を辞任することに。
⑦2021/7/28理由は不明だが、小山田さんが参加するグループMETAFIVEの新作発表が取り消された。

 ⑧2021/8/6 理由は不明だがコーネリアスフジロック出演をキャンセル。

 

【ROJ雑誌読後ファクト】

ワタクシは、②の2誌のうちの一つ、ロッキング・オン・ジャパンの雑誌を買って、
今でも保管しているので、その記事を読んだ後のROJ雑誌読後ファクトを列挙します。

(A)10代のときに壮絶ないじめの現場にいた。
(B)インタビューのいじめの話題の始まりの際に小山田さんは「うん、いじめた。けっこうすごいヒドイことをしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)だって、けっこうほんとにキツイことをしたよ」と反省の弁を述べていた。
(C)その反省の言葉に「(笑)」つけたのは雑誌の編集者。
(D)(あ)いじめる方、(い)いじめられる方、(う)現場に遭遇した方。でいえば、(う)であったが(あ)に加担し、いじめるアイデアを出していた。
(E)そのアイデアは何かは記事にはない。
(F)このインタビューは2万字インタビューというロッキングオンジャパンの名物記事。生い立ちからミュージシャンとして成功するまで過程をインタビュー記事にして、ミュージシャンの内面および葛藤を理解することで、音楽作品を理解する一助にすることが目的。

 

【2021時点ファクトをめぐる所感】

③の事象は、町山智浩さんが2021年1月トランプ大統領『クーデター未遂事件』の際に、菊地成孔さん2019年6月の「トランプを支持する(皮肉ではない)」の記事を拡散した件に近いと感じる。簡単に説明すると、町山さんがトランプの前代未聞の行為(ツイッターで、クーデターを推進)の渦中に、過去菊地成孔さんのトランプが歴代大統領の中で評価しているという記事の一部コメントをツイッター上で引用して拡散した件。菊地成孔さんは困惑し、公開討論を持ち掛ける事象に発展。小山田さんの炎上事件は、放火犯人が特定されていないけど、30年ほど前のいじめ雑誌記事を引用および拡散することで、オリンピック反対派、障害者家族、いじめ敏感者を巻き込んだ炎上事件。現代のSNSで多発する過去記事一部引用放火の事象だろう。

 

 【ROJ雑誌読後所感】

新聞記事やテレビでの放送の内容と【ROJ雑誌読後ファクト】を比べると、違和感を感じる。小山田さんの雑誌インタビュー記事を批評しているSNSやメディアの方々は本当に雑誌記事を読んでいるのだろうか?という疑問。ロッキングオン・ジャパンの2万字インタビュー全部読んだのでしょうか?読んでもいないのに批判しているって、それ野次馬って言うのでは?ミュージシャンは音楽作品で、執筆者はその原稿で、アーティストはその作品を鑑賞した上で、批評、批判、評価されるべき。この原則は知性がないと理解できない。雑誌記事を全文読んでない人はこの件語る資格なし、とこれからもずっと訴えたい。ワタシは該当のロッキングオンジャパン雑誌を買って、保持しているので、語る権利があり、QUICK JAPANの記事については興味ないので購入しないし、この記事について語る権利がない。

 

「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」で、作品を観てもいない人たちからクレームがあった件はこの事象は近い。作品を観てもないのに、批評するという行為について違和感がない時代なのだろう。当時ツイッターで「実際に観てから批評すべき。想像と伝聞で批評することは許されない。芸術は人の心を動かすことと定義するのあればこの作品は大成功。ワタシは観ていないから批評はしない。」とつぶやいた際に、アンチからあったコメント「ならあなたは自分の目で見たモノ以外なにについても意見を表明できないことになりますが。何時代のひとですか。この超情報化社会で目視以上の手段でより高度な情報を得ることなど訳ありません。芸術なら目で見て語れますが、あれを芸術と私が認めていないので問題ありません。」だって。あなたに知性があるのか?と質問しても「自分は全部を観なくても、理解できる」という強弁と「自分が判断する立場にいるので、間違っていない」という意識高い主張。ワタシは知性は人に押し付けるものでなく、自ら身に着けるものと理解した。芸術家(ミュージシャン、執筆者、アーティスト)は、伝えたいメッセージをその作品に託してる。それに対して作品全体像を把握しようとせずに批判、批評する人は知性の無い野次馬だ。

 

ウィキペディアから引用

野次馬(やじ うま)とは、本来は歳を取ったや御しがたい馬を指す日本語である。そこから転じて、自分とは直接関係の無い事象事件事故を主とする、世の中で起こるもろもろの出来事・現象)に浅はかな興味を抱き、物見高く集まる、面白半分に騒ぎ立てるなどといった行為に及ぶこと、ならびに、その行為者を指して言う、蔑む含意をもった語にもなり、現代ではこちらの用法が第一義となっている。