QSKVブログ

ピンチの後にチャンスあり!しかし人生ピンチの連続。まぁなるようになるかね。

佐藤君無きフィッシュマンズのライブはなぜゴスペル調なのか?(3)

(18)フィッシュマンズの全盛期は「空中キャンプ」から「ロング・シーズン」にかけてだと思うけど、その頃でも新宿リキッドルームのライブでも必ず当日券で入れて、その日の仕事の終わり具合や気分で観れるようなバンドだった。そのフィッシュマンズのトリビュート・ライブがリキッドルームより大きな会場でも、どうして毎回即日完売な状態になってしまったのだろう?どうしてゴスペルに近いと感じるようになってしまったんだろう?

(19)以下個人的見解。

(20)なぜフィッシュマンズのライブがゴスペル調なのか?それは死んでしまった人と会話したいという欣ちゃんの人間本来の欲求だからではないか。もし佐藤君が生きていたら、欣ちゃんはここまで大げさなライブをやりたいと思うハズがない。大げさにすれば思いが届くとバンドメンバー、スタッフ・サイドが思い込み、ここまで大げさなゴスペル的世界になってしまった、のではないかと。

(21)なぜリアルタイム世代でない人たちがフィッシュマンズを支持するのか?フィッシュマンズは存在しない存在であり、その存在しないフィッシュマンズのライブというのは、クリスチャンであるところのイースター(祭り)だからだ。みんなライブに参加することにより、より佐藤君(の想いに)に近づけると思っている、のではないかと。

(22)佐藤君が存在していた時の音楽とメロディや歌詞は同じなんだけど、雰囲気や空気が別のものになっているという違和感。その理由はこのゴスペル調の演出と、ゴスペル調の演出を支持する観客の両者が作り出す異常な雰囲気。

(23)リアルタイム世代は祭りに参加することなく、またCDを再生することなく、思いをはせればあの頃のフィッシュマンズと会話できる位聴きこんでいるハズ。だからイースターに参加する必要ない、のではないかと。

以下次回(次が最後です。。。。)